気づきのブログ

本や気づいたことを書き留めております。

坐禅

正しく坐る。

坐禅で一番大事なことは正しく坐禅できているのかにつきる。正しく坐れていないのであれば形だけの坐禅に他ならないわけで、ただ坐ってむやみに時間を過ごしていることにもなるだろう。 正しく坐禅できているのか否かは正師を探し、見てもらう必要がある。人…

提唱集⑰

「この法は、人々の分上にゆたかにそなわれりといえども、いまだ修せざるにはあらはれず、証せざるにはうることなし」(道元 弁道話より) こうだと言って決めるようなものは一切ないですよ。ないんだけど、今のところは「パンッ(机を叩く)」、間違いなく…

提唱集⑯

能は境に随って滅し、境は能を逐うて沈す。 いかにも、こっちの考え方によって、そういうことが行われているかというと、そうじゃないんです。 人間の考え方、心の用い方ではなくて、必然なんです。このもの自体ですよ。この五官自体としての必然性を見ます…

提唱集⑮

万法ともに我にあらざる時節がないと、そういうこと(まどいなく、さとりなく、諸仏なく、衆生なく、生なく、滅なし)にならない。 万法ともに我にあらざる時節ということはですね、ここに私がいてですよ、ここにお互い自分というものを認めていて、そうしなが…

提唱集⑭

「そうなれるかなれないか、わからない」じゃないんです。なった人が大勢いらっしゃる。だから、教えにしたがって祗管打坐、あるいは公案功夫を熱心に根気よくつとめていけば、必ず、「古人(昔の人)は嘘をついていなかった」ということを、自分自身で實證をする…

提唱集⑬

「そうじゃない」老師(井上義衍老師)が云った、「無始劫来だろうが妄想観念、そりゃどんないいこともです、ぽっと出ぽっと消えるだけだ、その念起こるところへとっつかまってしなけりゃいい、ひっこぬいた雑草は石の上へ置けです、ただそれっきり」 原因結果を究…

提唱録⑫

取り上げてみてこれはどうしたらいいですかと聞いてくる。これは天然なのか、意が動いているのかって。と、いうことはもう取り上げてひねくっているということでしょう。だから明確だからそれをやっちゃいけないんだ。取り上げなくて勝手に動いているだけで…

脱童貞者の境地

去年の年末、仏教書、禅書の類いを処分した。手元に残ってるのは老師の提唱録とアーチャン・チャーの法話集のみ。禅書は禅友のみなさんにドナドナしたが、仏教書の類いは実家の倉庫の肥やしとなった。 平日は仕事から帰って坐禅、風呂、飯、洗濯をしてさっさ…

提唱録⑪

私たちは、いつもまじりっけがないところに生活(坐禅)をしているのですから、まじりっけをつくるのは自我に迷執するためです。 「これでいいのかな」「悟りというのは、どんなものだろうか」と、本来きれいなもののなかに、みずから「自分」というゴミやアカをつけ…

提唱録⑩

‪目前無物、無物宛然。‬‪不労智鑑、禮自虚玄。‬‪・目前物無く、物無うして宛然、智鑑を労せずして、禮自ずから虚玄。‬‪なんにもないというと白紙状態を思い浮かべるでしょう、そうじゃないんです、なんにもないとは体自虚玄、自分がないんです、虚玄とは宇宙…

提唱録⑨

私たちは、自分を悩ましたり困らせているのは、何か自分以外のものから縁をあたえられて、それによって腹を立てたり、感情の起伏が激しくなっているとしか考えられませんけど、実はそういうものは全部私自身がつくっているということです(因果一如)。したが…

マスターヨーダ?

スターウォーズを知らない方は少ないと思うが、ジェダイにせよシスにせよ、その教えというのは一対一で相承される。クワイ=ガン→オビワン→アナキンのように。禅も然りで、こちらも一対一で師子相承される。老師は弟子のレベルに応じて、対機説法し、そして事…

提唱集⑦

どうしてもはじめは、妄想めったらやたらです。どうにかしようとて、妄想の交通整理やってます、でもってうまく行く行かぬという、そういうことしないんです。でたらめなんでもありありがいい。 たいてい自分を眺め暮らす、だめです。 身心の失せる時節があ…

提唱集⑥

私たちは認識をおこすことによって自分を人と思い、他を人と思い、自他の区別をつける。自他の隔たりをもつわけです。 安心・不安というのも同じことです。自分と他という隔たりをつけるから不安がおきる。自分と他の距離がなくなることを安心(あんじん)とい…

提唱集⑤

意識はぽっと出ぽっと消える、一秒二秒もないんです、それに栄養を与えるからわいわいもんもんです、一日悩まされノイローゼやるんです、ひいては心身症ですか、ぽっと出ぽっと消えるままにしときゃいい。 無心とはこれです、忘我ということはありますが、心…

質疑録⑤

前回の続き 老師:それが、すぐに「きれいだ」という一念があると、すぐ私したい。いいものはみんな自分のものにしたい。悪いものはみんな他人のものにしたい(笑)。人間大体そうでしょう。 そういう迷いがだんだん起きてくるんです。それですから、初一念という…

質疑録④

問:美しい女性を見たと仮定して、それがきれいだというだけではなく、きれいだから触れてみたいとか、おいしそうだから食べてみたいとか、一番初歩的な欲望は本来清浄なものだと思うのです。いわゆる(欲)というのではなく、人間の持つ本質的なものと思うので…

提唱集④

わかりやすく言えば、良いとか悪いとかの見方がそっくりそのまま外れていることさえ自分ではっきりできたらいい。(思いを)取り上げる、取り上げたら必ずどちらかの見方が必ずついてくる、起きるということ、すぐに。取り上げたということはそういうこと。…

質疑録③

問:あの、思いがですね、六官の一つに入っているということがありますね。この前、ご老師のお話なさったテープを聞いた時、思いが出てもそれが真実とおっしゃっていましたが… 老師:そう。想いが出たということが真実で、それはいいんです。ところが、それを…

提唱集③

人とものとの関係において、いちいち、ものが現れ、現れては消え、消えては現れる。その様子が分かる。人間の従来の考え方を持って自分を守っておるということは、それだけ道から離れておることなのです。 五感(眼、耳、鼻、舌、身)というものは正直なもので…

質疑録②

問:眼耳鼻舌身意の私(わたくし)と公(おおやけ)というところの差でございますか。ちょっとお話下さい。 老師:この眼耳鼻舌身意としてのこれを自分で認めるとこれを可愛がりたくなる。この私という道具を自分だと思って、これのためにあらゆる方法をもって可愛…

在家の日常

朝坐る、夜坐る。 坐禅中や日常でふと疑問に思うことがあったら書き留める。 坐禅中や日常でつかんだもの、これだと思ったもの、これも書き留める。 そして定期的に禅会に行く。 そこで書き留めたものを独参で正師にたずねる。なぜか。 一人で坐っているとつ…

質疑録①

問:苦しみ抜いた人は、解りが早いと聞きましたが… 老師:自分でとことんまで苦しむと、自分の心のどんな微細な部分まで解るんです。 そうすると、ちょっとしたところで「これが自分を苦しめる」という事がはっきりするんです。それがはっきりすると、念を起こし…

「欲しい」だけは別枠か。

~瞑想の究極的な実践法として、仏陀は「放っておく」ことを教えています。これは「執着から離れ、心に何も持ち運ばないようにすること」です。美しいものを見ても放っておき、よいものを見ても放っておくのです。「放っておく」とは、実践しなくてもいいという意味…

慢心

坐禅でも瞑想でもそうだが、なんの世界でも初学のころには驕りがない。が、少しできるようになると驕りが出てくる。「何ものかになった私」「できる私」になるのだろう。 自分も初学のころは何もかもが勉強だった。が、少し解ってくると、「そんなこと知っとる…

記憶と現実

我々は思い、記憶、そして現実のはざまで生きている。それをうまく切り替えられればいいのだが、思いと記憶を混同したり、現実に思いを付着させたりと五里霧中状態で生活していることに気づいているだろうか? 例えば、あなたは仕事帰りにプリンを買って冷蔵…

嗚呼、チャン・チャー

だいやめはアーチャン・チャーびいきだねとはよく言われる。twitterのタイムラインにはチャー師のbotのRTが多いし(^^;今回はなぜ私がチャー師を推すのかを書いてみたい(坐右の書第三弾はアーチャン・チャー)。 理由その①テーラワーダのみならず、大乗の方…

善友(禅友)の存在

正師という言葉をご存じだろうか。 禅師(道元)は著書の学道用心集の中で‪【正師を得ざれば学せざるに如かず。 夫れ正師とは、年老耆宿を問わず、唯、正法を明めて、正師の印証を得るものなり。 文字を先とせず、解会を先とせず、格外の力量有り、過節の志気…

久しぶりのブログ、読書

昨年末に仏教書、禅書の類を処分した。それ以来は本屋も行かずにいたのだが、たまたま会社の書類棚を整理していると以前購入した本が出土した。なんとアチャン・チャー法話集第二巻だった。 ‪アチャン・チャー法話集は英書の″Food for the Heart:The Collect…

坐禅と瞑想は同じなのか。

誰でも一度は考えるんだよな。その手の専門家や雑誌の特集でも禅・瞑想特集などとひとくくりにする場合も多い。 瞑想はさまざまな方法がある。そして坐禅もさまざまな定義があると思う。例えば坐禅の基本でもある祗管打坐すら師家で指導がガラリ違う。目指す…