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ミソジニー

ミソジニー
聞き慣れない言葉だが、意味は女嫌い。
今回はこのミソジニーの考察。

 

釈尊ミソジニーだったという説がある。
原始仏典に明るい方ならピンとくるだろうが、かなりの罵詈雑言を女性に対して浴びせている。

「われは(昔さとりを開こうとした時に)、愛執と嫌悪(けんお)と貪欲(とんよく)(という三人の魔女)を見ても、かれらと淫欲の交わりをしたいという欲望さえも起らなかった。糞尿に満ちたこの(女が)そもそも何ものなのだろう。わたくしはそれに足でさえも触(ふ)れたくないのだ。」
(スッタニパータ835)

 

これなどまだいい。

 

「世尊は、長老に「女には、九つの悪い属性がある」とおっしゃった。
その九つの悪い属性とは何か。
女は、
1、汚らわしくて臭く
2.悪口をたたき
3.浮気で
4.嫉妬深く
5.欲深く
6.遊び好きで
7.怒りっぽく
8.おしゃべりで
9.軽口である 」
(増一阿含経41)

とまあコテンパンにやっている(´・ω・`)
*異説あり


男性の性欲はかなり強い煩悩なのはお解りだと思うが、出家者がこれを克服するのはさすがに容易ではない。
これを克服すべくが不浄観なのだが、釈尊の時代は肉体が朽ち果てるのを見届けるべく、墓場の修行が通例だったようだ。
日本と違い火葬ではなく、土葬なので効果抜群なのである。

 

あとチベットの鳥葬も有名である。
死体を鳥が食べやすいように適当に切れ目を入れておく。すると二分も経たないうちに鳥があれよあれよと食して死体は白骨化する。まあ見事なものだ。

 

とまあなんとも男性の修行者は涙ぐましい努力をやってきた。
初期仏教の実践とは人間という生物の放棄、そして狂気とも言えよう。

 

でもそうは言っても釈尊当の本人は離婚はしていない。
それを考えると釈尊の女性蔑視の発言は本音ではなく、出家者への戒め、方便だったのかも知れない。

 

もっとも好きの反対は嫌いではないどころか好きのうちである。
女嫌いというのはこころのなかにその気が存在しているのは事実なんだよな。
女性が気にかかっていることに他ならない。

 

面白い故事を一つ。
とある川辺で師僧と弟子が修行をしていた。
そこへ若い女性が川を渡ろうとしていた。
師僧は若い女性を抱きかかえ、川を渡ってやった。
それをみた弟子は「僧の身でありながら女性に触れ、抱くとはなんということでしょうか!」と師僧を問い詰めた。
師は答えた。
「なんだ?お前はまだ女を抱いておったのか?」

 

好きの反対は「気にならない」なのだ。

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