気づきのブログ

本や気づいたことを書き留めております。

久しぶりのブログ、読書

昨年末に仏教書、禅書の類を処分した。
それ以来は本屋も行かずにいたのだが、たまたま会社の書類棚を整理していると以前購入した本が出土した。
なんとアチャン・チャー法話集第二巻だった。

 

‪アチャン・チャー法話集は英書の″Food for the Heart:The Collected Teachings of Ajahn Char″を翻訳したものだ。

原書では
introductionが2話
conduct編が8話
meditation編が12話
wisdom編が16話
となっており、当書はmeditation編の翻訳となる。訳者は前作と同じく出村佳子氏で、とても優しく腑に落ちる翻訳だ。
タイトルはなぜか″マインドフルネスの原点″。個人的には邦訳第1巻のタイトルが戒律だったので、素直に″禅定″や″瞑想編″とかのシンプルなタイトルにして欲しかった。
ここ辺りはマーケティングによるものだろう。

 

さて内容はというと、瞑想編らしく瞑想のtips満載の法話集となっている。
チャー師の修行方法は瞑想に力をさほど置いていないので、瞑想そのものに言及しているものは少ない。
これは文庫化までされた大ベストセラーの「手放す生き方(星飛雄馬訳)」をお読みの方はご存じだと思う。そのため非常に貴重な法話となるだろう。
だが、内容は瞑想そのものの状態を書き記しているのではなく、瞑想に対する姿勢や心構えを説いたものになっている。

 

印象に残ったのは、
~瞑想の究極的な実践法として、仏陀は「放っておく」ことを教えています。これは「執着から離れ、心に何も持ち運ばないようにすること」です。美しいものを見ても放っておき、よいものを見ても放っておくのです。
「放っておく」とは、実践しなくてもいいという意味ではありません。「放っておく」という実践をするのです~

自分は禅を習っているのだが、禅の老師からも同じことを言われる。
「放っておけ」と…
つまるところ禅修行とは「何もしない、手をつけない」ことが修行となるのだが、これと通ずるのではないかと感じた。これは結構誤解されるところで、瞑想や坐禅などのメソッドで思考、妄想などを「もみ消す」のではないところ。注意されたい。

 

一番面白かったのは最後の法話、「真夜中の修行」。
瞑想に死体を観察する不浄観や死随観などがあるが、チャー師がこれを行ったときのことが書き記されている。泣き叫ぶチャー師が描かれており、貴重な体験談である。

 

全体を通して手厳しい感は否めなく、出家者は元より在家の出家者へのカンフル剤的な一冊となるだろう。読み終えて改めて襟が正される思いがした。
自分はほんと生ぬるい…そう感じた次第である。最終巻が待ち遠しい限りだ。

 

 

アチャン・チャー法話集 第二巻 マインドフルネスの原点

アチャン・チャー法話集 第二巻 マインドフルネスの原点

 

 

アチャン・チャー法話集―第一巻 戒律―

アチャン・チャー法話集―第一巻 戒律―

 

  

[増補版]手放す生き方【サンガ文庫】

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