気づきのブログ

本や気づいたことを書き留めております。

善友(禅友)の存在

正師という言葉をご存じだろうか。

禅師(道元)は著書の学道用心集の中で
【正師を得ざれば学せざるに如かず。 夫れ正師とは、年老耆宿を問わず、唯、正法を明めて、正師の印証を得るものなり。 文字を先とせず、解会を先とせず、格外の力量有り、過節の志気有りて、我見に拘わらず、情識に滞らず、行解相応する、是れ乃ち正師なり。】
と正師の重要性を説いている。
今回はだいやめ的坐右の書二冊目「禅友に贈る書」のページをめくりながら考察してみたい。

我々は普段自分の外に世界があると認識している。自分以外は別である、自分と物は別であるという分別が前提となっている。自分と他(人)と想定しているから言葉が生まれ、コミュニケーションが成立している。
科学も然りで、科学とは他を「観察する」のが前提で成り立ってる学問と言えるだろう。観察するのも分別が前提なのである。

ところで無分別という言葉があるが、言葉尻で解釈するならば、この自他との区別がないということになる(分別が無い)。自分が無ければ他はない…ということでもある。
禅でいう脱落とはいわゆる悟りであり、悟りとはこの無分別を徹見することであるのではないだろうか。
といってもテーラワーダ的に言うならば「無分別智を得る」のではなく、「本来無分別だった」ことを自覚すると言えばいいのだろうか。得るとなると別にあると考えてしまうからで二元的になってしまう…とまあいろいろな言い回しがあると思う。
この「本来無分別だった」の決定的瞬間を体験したのが「悟った」ということになるのだろう。すなわち禅の決着者(悟者)は無分別智者ということになる。
(ちなみにテーラワーダ的に無分別智を得られるのは四向四果の不還果以降だろう。預流果、一来果では分別が落ちない。"ヴィパッサナーで観察する"という表現は言い得て妙で、分別が前提とも言えるだろう(分別→観察)。道元の功績は無分別智は祗管打坐だけで充分ということを立証、そして宋から招来させたことだと思う)。

 

~まず、修行者に二元相対世界に留まっていることを自覚させる。
なぜなら人は二元相対世界にいることすら自覚していないからだ。そこで指導者は「自己を認めた自分」「二元相対世界にいる自己」を明確に認識させることをする。
「法を眺めている自分」を【迷い】として示す。
そして次は、その「自己を認めた自分」「二元相対世界にいる自己」を忘れる修行を示す。その「自己を認めた自分」「二元相対世界にいる自己」「法を眺めている自己」を擦り潰して行く指導をする(禅友に贈る書より)~

この指導ができる師が正師である。
つまり、正師とは二元相対世界と見ない者、すなわち正師=決着者、悟者ということだ。
道元はこの正師を得るにあたり「さらに草鞋を買来買去るして、正師をもとめて嗣法すべし(正法眼蔵)」と強く説いているぐらいである。
現に道元は国内には正師はいないとし、当時の中国”宋”に渡ったぐらいである。
それだけ得難い存在なのである。

 

さて著者の町野氏は原田雪渓老師に師事しており、老師の指導と長年の修行の結果、自身の修行に決着をつけた。面白いのは決着(悟った)した後の所感が描かれており、とても面白い(ちなみに原田雪渓老師は井上義衍老師の指導で決着をつけている。ここ辺りはサンガジャパン27号″禅・世界を魅了する修行の系譜″にある星飛雄馬氏の記事を参考にされたい)。
テーラワーダの決着者(解脱者・阿羅漢)はほとんどの煩悩が消滅していると定義されているが、禅の決着者は著書を読む限りでは煩悩の大半は残っていると言えよう(人によっては煩悩も落ちるらしいが)。ここ辺りが大乗ならではと言ったところだろうか。

さてこんな奇妙な世界に足を踏み込み、修行を重ねるのが禅修行なのだが、
~仏法を解明するには言語学研究でも、哲学・思想的研究でも不可能とお話した。
残された唯一の道は、当てにならない「あるでもない、ないでもない、認識せず」の「悟り・心身脱落」への努力、結果が出るかどうかも分からない、不安で頼りない真っ暗闇に独り旅立つことだ。
修行である(禅友に贈る書より)。~

とあるようになんとも心細い限りである。しかし、我々は幸いにしてSNSというのがある。昔と違い、修行者はSNSで繋がり集い、切磋琢磨することができる。
前述の正師の情報も歩いて得る必要がなく、情報をシェアすることが可能な時代。暗闇を独りで歩くのではなく、禅友(善友)の存在が頼もしい。


さて善友と言えば、タイで出家した日本人僧、プラユキ・ナラテボー師の名著「苦しまなくて、いいんだよ」の中で善友のガイドラインとも言える「七善友法」が書かれている。

【七善友法】
1.愛らしく、親しみが感じられる
2.頼りがいがあり、尊敬できる
3.智慧深く、理解力があり、たえず自己の向上に努めている
4.話し方を知り、巧みな方便を駆使して上手に助言や忠告ができる
5.どんな内容の相談事、質問や批判であっても熱心に傾聴できる
6.どんなに複雑、難解な内容も、明確に説明ができ、より深い学びへと導いてくれる
7.道理に合わないこと、誤った道、破滅への道へと人を迷わすことがない

なんと心強い存在なのだろうか。
かく言う私も暗闇を歩いていて先を歩く一人の禅友(善友)から気づかせてもらった。感謝しきれない。

 

 (注:禅友に贈る書は一度だけ目を通す程度が吉。余計な″もの(概念、思い)″を背負うことになりそうです。著者もブログでそのように述べております。平常心是道ですね。)

 

 

 

禅友に贈る書―禅解説書 (JPS出版局)

禅友に贈る書―禅解説書 (JPS出版局)

 

 

禅ー世界を魅了する修行の系譜ー(サンガジャパンVol.27)

禅ー世界を魅了する修行の系譜ー(サンガジャパンVol.27)

 

 

 

苦しまなくて、いいんだよ。

苦しまなくて、いいんだよ。

 

 

「気づきの瞑想」を生きる―タイで出家した日本人僧の物語

「気づきの瞑想」を生きる―タイで出家した日本人僧の物語