気づきのブログ

本や気づいたことを書き留めております。

「欲しい」だけは別枠か。

~瞑想の究極的な実践法として、仏陀は「放っておく」ことを教えています。これは「執着から離れ、心に何も持ち運ばないようにすること」です。美しいものを見ても放っておき、よいものを見ても放っておくのです。
「放っておく」とは、実践しなくてもいいという意味ではありません。「放っておく」という実践をするのです~(アチャン・チャー マインドフルネスの原点より 出村佳子訳)

だいやめは無類の女好きだった。面食いでしかもスタイルにもうるさかった。ウエストのクビレ具合、お尻の形、そして後ろ姿も顔以上に大事な要素だった。その条件に合致すると放っておけず、勇猛果敢にアプローチするのであった。
痛い目に合うのも知らずに…

 

さて、今回はこの「放っておく」について考えてみたい。
前回もお話した通り、禅の老師もこれと同じようなことを指導される。
「放っておけ、手をつけるな」と。

rcm716oldskool.hatenablog.com

こんな話は思い当たらないだろうか?

あなたは家に帰り冷蔵庫を見ると牛乳がなかった。
そしてスーパーに牛乳を買いに出かけた。スーパーに行くとポテトチップスが特売だったので、買い物かごに入れた。おっと洗剤も安いではないか!これも入れておこう。お酒コーナーを通りがかる。風呂上がりにビールを飲みたいな、これも入れておこう。最後に牛乳を入れてレジに向かった。
そして帰り道、マクドナルドの前を通った。揚げた香ばしい香りがしたので、ナゲットが食べたくなった。店内に入り、あなたはナゲットを買った。

 

こういうことは日常でよく見られる光景だろう。
でもよく考えていただきたい。そもそもの目的は牛乳を買うはずだった。
その間、ポテトチップス、洗剤、お酒を見ることにより、十二支縁起でいうところの「触、受」が発動、そして欲しいという「愛、取」が生じた。
すなわち見ることによって「欲しい」という思いが想起し、その思いをつかんでしまった。その結果かごの中には「欲しいもの」が多数入るハメになったのである。また帰り道、香ばしい香りを嗅いだことにより、これまた「触、受」→「愛、取」のコンボが発動した。
結局ポテチ、洗剤、ビール、ナゲット、しめてあなたは四回想起した思いをつかんだことになる。

 

「欲しい」を放っておけば何もなかったのにつかんでしまったので業に転じたわけだ。
(業に転じる=散財、メタボになる、高血圧になる等)
”欲しい”をつかむことによって物欲は満たされ”楽”を生じる。が、それと同時に”楽”は常ならず(無常)であり、必ず”苦”に変わる。

 

これは結構、瞑想実践者や坐禅に励んでいる方でも見落とすところだろう。
”怒り”をヴィパッサナーできても”欲しい”は結構見落としがちのような気がしてならない。
実は私も禅友さまから「だいやめさん、色や音はヴィパッサナーできてもなぜか六根の意だけはみなさん特別扱いしますよね。」とご指摘をいただいてハッとした次第であった。

余談だが、私自身はカール(うすあじ)が好物だった。スーパーに行くと二回に一回はカールを買っていたのだが、カールを見ても「食べたい」を相手にしなくなった。
これを徹底するとおやつや嗜好品の類いはまず手を出さなくなるように思える。

この「放っておく」はネットショッピングでももちろん有効で、アマゾンなどを見ていてもどんなに安くても買わなくなった。

 

まあまとめると放っておけずに”つかむ”ということは、「俺の」思いをつかんでいるということだ。
最後にアーチャン・ブッダダーサ(プッタタート)師はアーナパーナサティの技法でこのようなことを述べられている。
「だから原則は、仏教の核心である「何も私、私の、と執着するべきではない」を一呼吸ごとに感じることです。」

アーナーパーナサティの完全技法と自然法

だから放っておくのである。

 

チャー師は仏道とはとどのつまり「我慢比べのようなもの」と仰っていたが、これは言い得て妙なのかもしれない。

 

 

呼吸によるマインドフルネス 瞑想初心者のためのアーナーパーナサティ実践マニュアル

呼吸によるマインドフルネス 瞑想初心者のためのアーナーパーナサティ実践マニュアル

 

 

アチャン・チャー法話集 第二巻 マインドフルネスの原点

アチャン・チャー法話集 第二巻 マインドフルネスの原点