気づきのブログ

坐禅、瞑想、仏教について書いてました。H30年6月で当ブログ終了しました。今後は当時の手記のみ更新予定です。

質疑録⑤

前回の続き

老師:それが、すぐに「きれいだ」という一念があると、すぐ私したい。いいものはみんな自分のものにしたい。悪いものはみんな他人のものにしたい(笑)。人間大体そうでしょう。

そういう迷いがだんだん起きてくるんです。それですから、初一念というものは純粋なんです。出会い頭に喧嘩ができないというのは、そうなんです。いきなり殴ったり、蹴飛ばすなんてことは出来っこないでしょう。そんなふうに純粋なんです。どれも…。

 

ですから円覚経のなかに「一切の事にきょして妄想を起こさず」とあるでしょう。何に対しても妄想というのは、起こさずではなくて、起きんのです。

今こうして話しておっても、それがただあるというだけです。あるということは誰にでもあるんでしょう。聖人だって凡夫だって、これ(環境)とこれ(六官)との関係ですから、あるという事は同じなんです。

ところが、聖人はただそれだけでいくし、凡夫は二念、三念を接(つ)いでいく。そこに病を認めたんでしょう。認めたから取られやせんかとか、捨てて惜しいとか、次から次へ出てきて煩いになるのです。そして自分で責め、良ければよいで責め、悪ければ悪いで責めるということが起きてくるんです(衍)。