気づきのブログ

坐禅、瞑想、仏教について書いてました。H30年6月で当ブログ終了しました。今後は当時の手記のみ更新予定です。

提唱録⑩

目前無物、無物宛然。‬
‪不労智鑑、禮自虚玄。‬
‪・目前物無く、物無うして宛然、智鑑を労せずして、禮自ずから虚玄。‬
‪なんにもないというと白紙状態を思い浮かべるでしょう、そうじゃないんです、なんにもないとは体自虚玄、自分がないんです、虚玄とは宇宙と一つになっている微妙です、‬ものみなあるんです、無物という個々別々です、こっちの都合であるなしを云わない、取捨選択をしない、廊然無聖のありさまを宛然といった、筆舌に尽くしがたいんです。

これを本当に現前しないうちはどうしても鑑みるんです。たしかにやった、やりましたと云って身心脱落し来たるです、これを持ってしまって大悟徹底悟りはとやると、やるに随い悟と未悟になってしまう。

鑑覚の病と我が師井上義衍老師は云った。その悟は実に確かなものであった、忘我状態が十五分間も続いたという、忘我を出でてさらに不思議であった、我というものまったく無うしてものみなある、ハアーッと云ううちにこれは天下取ったというわけです。あっちこっち当たるを幸い、師家の三人も気違いにしたっていうからものすごかったんでしょう。

説法するのにたまたま飯田欓隠老師の前座を務め、欓隠老師なにするものぞと本番の分まで食み出した、
「あまり公案をいっぺんに使うな」
という以外欓隠さんも云うことなかった、そのうち気づいたそうです。
「自分の欠陥というもの、承知しながらこれに気づかない」
そうして夜討ち朝駆け欓隠老師のもとへ通った。もう一苦労せにゃならん、ずいぶん長くかかったよと云っていた。脱落せる身心底です。

お釈迦さまには仏教がなかった、道元禅師にはあったということですか、ありゃあるものにひっかかる。
世間から本当に離れる、どうしてもそういうことです。
そうです、世間=自分です(担)。

 

雪担老師語録

雪担老師語録