気づきのブログ

本や気づいたことを書き留めております。

人の本性は行動できまる

在家いや日本国民いや仏教国民必携の書と言えば、原始仏典でも最古層に君臨するダンマパダとスッタニパータだろう。

 

もう何十年と読んでいるが、いまでも月に一、二回は目を通している。十年前は意味がわからなかったことが今頃になって「このことだったのか!」と気づいてみたりで噛めば噛むほど味が出るスルメのような本でもある。

 

内容はご存じの通り、出家者向けもあれば在家向けに説かれたものもある。
今回はその中でも自戒を込めて(星の数ほどあるが)実践者向けの句を挙げてみたいと思う。

 

まずはtwitterSNSをやっている時に気づくのがこれ。

「たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである。---牛飼いが他人の牛を数えているように、かれは修行者の部類には入らない。(ダンマパダ)」

実に耳が痛い。私も高尚なことをtweetしたり、禅匠の言葉を引用するのが多いのだが、果たして自分はできているのかといつも自問自答。挙句の果ては自分ができていないものは消したりする始末で(^^;
自分のふりはなかなか自分で気づけないもので、他人からの指摘はありがたいもの。耳の痛い話は煙たいものだが、心して聞きたいものだ。

 

「他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。
ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ。(ダンマパダ)」

SNSは性格上他人の嗜好や生活のリズムなどがしばし露見される。
節度ない投稿を見ると「いいこと書いてるが実生活は煩悩丸出しじゃね?」とか「節度がないんじゃね?」評価する始末である。かく言う私もそういう目線で他人を評価してた。修行足りてないんじゃね?みたいな(^^;
が、釈尊が仰る通り、他人ができていようがいまいが自分の修行にはなんら関係ない。そして他人ができたから自分ができるわけでもない。

そういえば釈尊ソクラテスの「人はいかに生きるべきか」の問いに対して、間接的に八正道でお答えになられている。大乗仏教徒なら互換版の六波羅密、禅宗ならば釈尊最後の説法と云われる八大人覚が指針となるはずである。日々坐禅や瞑想に勤しみ、行動指針はこれらを準拠し実践あるのみである。

ちなみに八大人覚の内容はというと、

1・少欲(欲をわずかにす)
2・知足(足るを知る)
3・楽寂静(寂静をねがう)
4・勤精進(精進を勤める)
5・不忘念(念を忘れず)
6・修禅定(禅定を修める)
7・修智慧智慧を修める)
8・不戯論(戯論せず)

 

そういえばバットマンが「人の本性は行動できまる」と言ってたよな。
人となりは言葉、行動ににじみ出るものなのである。
自分ができているかにこだわりたい。

 

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原始仏典 (ちくま学芸文庫)

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ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

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ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫)

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