気づきのブログ

坐禅、瞑想、仏教について書いてました。H30年6月で当ブログ終了しました。今後は当時の手記のみ更新予定です。

提唱集⑯

能は境に随って滅し、境は能を逐うて沈す。

いかにも、こっちの考え方によって、そういうことが行われているかというと、そうじゃないんです。

人間の考え方、心の用い方ではなくて、必然なんです。このもの自体ですよ。この五官自体としての必然性を見ますと、こうやって時計の音がしますと(時計が時を知らせている)、否応なしに、その通りのことがあるのです。現じているんです。どっから始まったんです?向こうから始まったのか、こっちから始まったのか知らんのです。人間を中心にして、いろんな事を考えるから、こっちからとか、向こうからとか問題を起こすんです。それはみんな人の考え方の問題です。

そういうようなものから全部離れているから、ここにあるように、能は境を逐うて沈す、こっちから言うと向こうの時計の音が、こっちの方でちゃんとある。向こうを対象にすると向こうの音がするところに、このものがちゃんと収まる。両者共に成立しないんです。こっちだとか、向こうだとか存在しないんです、もともと。それが存在するということは人間の見解なんです。そこに大切な事があるんです。

坐禅をする時は、自分を中心にして坐禅をしてはならんのです。それを本当にやめて、六感を解放して、六感の作用がどうであろうとも一切かまわずに、一々のその時その時の作用のままに、煩悩らしい作用が起きようが、立派そうなものが起きようが、かまわないことです。
その現じたり滅したりする、それ自体があなた方の手つかずの真相なんです。

それですから、安心してですね、ただそういうような動きの真相そのまんまに注意していてごらんなさい。そうすると本当に、なんにもないところから生じながら、直に、それから離れて、その事実が、自分に完全に具っておることが手に入るんです。(井上義衍老師 夢想第五集より)

 

禅 もう迷うことはない!―あなたの疑問を即快答

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