気づきのブログ

坐禅、瞑想、仏教について書いてました。H30年6月で当ブログ終了しました。今後は当時の手記のみ更新予定です。

提唱集⑱

自分の真相に気が付いて見ると、色んなことがはっきりしてきますから、こういうようなものも残されるのだけれども、例え気が付いても、こうやって眺めることをあまりしない方がいい 。自分の内容を人に説こうと思うと言語を漁るようになるから、できるだけそれをせずに、しばらく自分の至った悟境に、お悟りの境涯にそのまま身を置いておくと、より一層ものがはっきりするので、もしそういう方があったら 、手をさらに付けずに、今までどおり手を付けずに 。宝物が見つかると、自分が気が付くと、「絶対人に言わないで 」とは言うのだけれども、「今から話すことは絶対人に言わないで 」と言って話すくらい、古来ほとんどの人が、外に向かって人に自分の喜びを伝えたくてしょうがなくなるような衝動に駆られる 。まあ、それくらい一生懸命やっていて気が付けば、嬉しいに違いない 。同時に、自分がそういうことに気が付くと、先人が喋っているよりも、もっとよく自分で内容がわかるから黙っていられない 。喋りたくてしょうがない 。

 

私の師匠 (井上義衍老師 )なんかでも、よく言っておられた。飯田欓隠という老師のところについておられたけれども、老師と一緒に老師の講演会について行くと前座を賜るのでしょうけれども、老師の喋る時間も全部取ってしまうくらい 。だから老師は下で、「いつになったら終わるのかな 」っていうくらい、それでも任せて眺めておられたっていうことを、よく言っていました 。人なんか用ないのですよね、よくわかるから 。そのくらい自分で力が付くものだから、ついやるのだけれども、しばらく経ってみると恥ずかしかったなと思うようになるのですよね 。うん 。燃えている時には、わからない 。で、それをあんまり野放しにしておくと、はた迷惑になるので静かにすることです 。間違えると、少し気がおかしくなったんじゃないかと思われるくらい、激しい人は激しいですよね 。で、人にも叱咤激励をする。「こんなことに気が付かないのか 、何しているんだ 」ってなことで、推めてくれる。それは有難いのだけれども、はた迷惑もいいところですね。しばらく自分一人でこっそり美味しいもの食べていて欲しい 。(貫)